平成最後に人生で最初の自担について話してみる

平成もあと数日間というときにふと、せっかくだから書いてみようとブログを開いた。

なぜなら私の最初の担当はHey! Say! JUMPの山田涼介だからだ。

出会いは2007年秋KinKi Kids堂本光一担の母が妹にHey! Say! JUMPの記者会見を見せて「知念くんあなたは好きそうじゃない‼️」と勧めているのを横目に私は山田くんかっこいい!と心のなかで思っていた。
だが、母は私にあなたは誰々くんが好きそうねという話すらしてこなかったのでそこからひそかにテレビで見ては心を密かにときめかせていた。

私のこの気持ちが家族にバレるのは翌年のドラマスクラップティーチャーの出演にあたって各雑誌に取り上げられている彼の姿を母が光一さん目当てで買った雑誌を無意識の内に穴が空くほど見ていたからだった。

今でも、ほんとに高杉格好いい!って思うほどほんとに好きだった。
私が山田が好きだと知った母は私をコンサート会場に連れていき、グッズを買ってくれたり、ジャニショで数枚写真を買ってくれたり、いい記事の乗っている雑誌を買ってくれたり、茶の間の一歩先程度のヲタ活をさせてくれた。当事地方住みの小学生だった私は東京は凄く遠いところだしコンサートはきっと凄い大人達が行くところだと思っていた。(後に凄い大人達が行くところは強ち間違っていないと大人になってから改めて感じることになった。)


そして中学生になり他の小学校と合同の中学に進級した私は同じように茶の間山田担、茶の間JUMP担と仲良くなり、後に親友になる友人も山田涼介の存在なしではきっと仲良くなることはなかったと思う。

そんなある年のクリスマスに事件は起きる。
毎年恒例、ツアーグッズ参戦をしていたときだった。高校生くらいのお姉さんが私と母に声をかけてきた。
「追加公演に当選してしまって友達がこられなくなってしまってチケット一枚余っているのでよかったらお嬢さん参戦しませんか?」と、母はとまどったが、そのお姉さんが青い封筒を持っていたのでクリスマスプレゼントにと始めてつれていってくれた。これは人生最大のクリスマスプレゼントだと今でも思っている。
そんなこんなで突然やって来た初参戦、2歳の頃の曖昧な記憶のKinKi Kidsのライブの記憶とは全く違い、今でも昨日のことのように覚えているくらい全てが衝撃的だった。そして一番衝撃的なことは「この人たち本当に生きてる‼️」という気持ちになったことだ。

そんなこんなでよりいっそうJUMPに熱が注ぎ、自分の自由な時間と少ないお小遣いは全てJUMPに注いでいた。
そんなヲタク英才教育をしていた母に唯一許してもらえなかったことはファンクラブに入ることだった。社会人になるまで友達に連れていってもらったり、都合が悪いときはグッズ参戦だったりしていた。

ライブに行けないのは悲しいけど、ライブが全てではないし、雑誌やテレビ、CDときにはファンの方のブログを見て少し年上の彼らが夢に向かって全力で走ってキラキラして少しずつ夢を叶えていく姿が大好きで、大好きでほかのグループに目移りするときもあったけどやっぱりJUMPが私の中心だった。

そして高校を卒業して社会人になり速攻ファンクラブに入った。ところがこの名義当たりにくい次期に作ってしまい、DEAR魂はまた友人の取ったチケットで行くことに。ライブ難民だった私はその前の年は行けてなかったこともあり、さらに彼らが眩しくて夢のようだった。生で観るダンスの迫力は本当に圧巻で大好きなセトリで本当に幸せだった。

しかし次の年の10周年ライブで違和感を覚える。
それは彼らに対してではなくて自分のJUMPへの気持ちだ。彼らのことはキャラクターもパフォーマンスも大好きなのだがライブ会場の空気が今までと全く違うのだ。まるで他のグループのライブに来てしまったかのように。

そのライブが終わり、10年間遠くからでも彼らを観ることができて本当に幸せだったなと感じたのと同時に、あぁ、私の見ていたJUMPの夢は8割り型叶っちゃったんだなとなんとも言えない達成感のようなものが生まれてしまった。

あの頃SNSがまだそんなに普及していなくて父からのお下がりのパソコンで毎日自担の名前を検索ワードに入れ調べたり、雑誌が発売されれば一目散に近所の本屋へ走っていった日々とは違い、今では年に1度でいいから彼らの今生きている証を見届けたい。それ以上は望まない。という気持ちです。
端から見たらきっとファン失格なのかも知れないし、これを担降りという人もいるかもしれない。

でも私はそうじゃないんだ!と言いたい。
山田涼介というアイドルは他の担当とは別の重くはなるが私にとっての青春の象徴のような存在なのだ。
彼の姿を観ると、あの頃のアイドルを応援するトキメキがよみがえってくるのだ。
ファンでもなく、担当でもなく、感覚としては担降りならぬ担昇りのようなもうそんな手の届かなすぎるくらいキラキラとした存在なのだ。

平成に生まれ育ち、平成とグループ名についたアイドルと時代を歩んで来られたことを本当に誇りに思う。令和の時代は彼らの足跡をしっかりと見つめて行けるような時代であって欲しい。

今年も素敵なライブ、素敵なパフォーマンス期待しています。